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250506雑感 日記をどうするかとコスプレの話題

ここに何かを書くのも1ヶ月以上空いてしまった。
書きたいことは今年に入ってから全然書けていない。1月の半ばに行ったブルアカふぇすのことすら書いていない。見に行った映画の感想も抜けまくり。
そもそも、映画の感想もそうなのだけど、ある種の日記帳としてここを使っているので、書く頻度が減る、書くと決めたものを書かない、というのは好ましくない。そしてなぜ書く頻度が減っているのかと言えば、書く内容を考えるのが体力的に疲れるし、まとまった時間と落ち着いた精神も必要とするからだ。あとその場のノリ。ちなみにこの文章は、いい加減何も書かない自分にウンザリ!という憤りをエネルギーとして書いているので、わりと乗っている。
自分としては、頻度を増やすことがまず大事だと思う。そこで、書くハードルをめちゃくちゃ下げることにする。
例えば映画の感想だと、いつどこでどう見たか、見て感じたオススメ度、ネタバレなしの感想、ネタバレありの感想、という要素をある程度の文量で書いていたのだけど、それをやめる。極端な話、いつどこでどう見たかだけでも良しとする。例えば今日はサンダーボルツ*を見に行ったけれど、「2025年5月6日、TOHOシネマズ立川立飛にて鑑賞。IMAX字幕版」これだけでも良しとする。
追加で書きたいことがあったら後で気が向いた時に書き加える。そういうことにしよう。

大阪万博でダンジョン飯のマルシルのコスプレをした人が非難されるという話題がこの前あった。
詳細は省くが、要するに、大阪万博でコスプレ(それも二次創作)をする行為がアリかナシか、ということだ。要してないか?まあいいか。
難しい問題なので自分は自分の中での結論を出さないことにした。
一面的に見れば、大阪万博はコスプレ参加を想定しており、禁止もしていないので、非難されるいわれはないように見える。
反面、一般参加者のコスプレには適さない会場であり(更衣室がないなど)、万博側の認識が甘い(ので迂闊にコスプレをするべきではない)という指摘も事実だろう。
それに加えて、コスプレ界隈や二次創作界隈の独自のマナーや慣習も関わってくる。こうした自主規制には往々にしてある程度の歴史があるもので、自分のような事情に疎い部外者が気軽に口出しできるものでもない。
こうした明文化されない自主規制といったものは、活動範囲を確保する役割がある。明文化されなければ広いグレーゾーンで(周囲の危険を気にしながら)ウロチョロできるが、明文化されて白黒つけられると狭い白の中でしか動けなくなる。白だろうがグレーだろうが、どの道社会との折り合いはつけながら活動しなければならないので(だからこの場合の白も実際はグレーではある)、それなら広いグレーゾーンのままの方が自由ではある。
そのグレーゾーンで危険な行為をしたのではないか、というのが今回の趣旨だったわけだけれど、自分はその是非を判断できる立場ではない。
ただまあ、昨今、政治などでも見受けられるが、ルールとして禁止されていないならば何をやってもいいとして、利用者の良心に委ねた空白や制度の穴をハックして無法をはたらく人々が支持を集めており、そうした風潮に危機感を抱いている身としては、万博運営に許容されているから自由にコスプレしてもいいのだ、とは簡単に賛同できないところがある。
というわけで自分にはヨシともダメともわからないな〜と思っていたところ、件のコスプレイヤーが問題行動を起こし(過去の行為も引っ張り出され)、あっこれはダメだと思ったのが先日の話。グレーゾーンで踊るのが良識のある人と危険な人ではまるで話が変わってくる。そして話題はこのコスプレイヤーが個人としていかがなものかという話に移っていった。
以降の経緯は書いてもしょうがないのでさっさとみんな落ち着いてほしいものだと思う。こういう言い方はあれだけれど、危ない人についてはネット越しの第三者がことさらに取り上げて騒がない方が当人にとっても周囲にとってもいい。まあこういう時って当事者もそれを叩く人も叩く人を叩く人も全員やばい、みたいなことがネットでは普通にあるので、ままならないのかもしれないけど……。
今回の話題では、運営とルールのみが全てでそれにないことは全て考慮しなくてよいという立場の人がたくさんいて驚いた。実際に慣習が適当かどうかは自分には判断がつかないが、それにしたって誰に言われずとも社会との折り合いはつけながらやっていった方がいいと思う。お上とルールというのは社会のほんの一構成要素でしかないのだから。ルールのみが全てというのは、法治のつもりかもしれないが、行き着く先は上述したようなルール自体のハックにつながっているように見える。
そりゃあ自分だって感覚的なことだけぶっちゃけて言えば万博でのコスプレなんかいくらでも自由に好きにすればいい、だって容認されてるんだから、と思いはするが、それは自分が大阪万博もそこでコスプレする人もコスプレ界隈もダンジョン飯二次創作もどうなろうが大して関係ないからそう感じるだけであって、それはルールを重視しているのではなく単なる無責任な姿勢であり、そんな姿勢で是非を語るのは不適切だろう。もちろん、関係がなくても真摯に向き合う姿勢があるなら議論に参加してもいいとは思うけれど、自分はそうではない。
この話で何を言いたかったのかというと、繊細な話題に気安く口出しできないなあ、ということと、ルールをハックする人々が支持される風潮に今回の件で納得した、ということ。

250329雑感 同人誌とZINE?

映画の感想とか、書くべきものが溜まっている。
学マスやブルアカのストーリーも読めていない。
未解決事件なんちゃらセンターなどやりたいゲームもある。
観たい映画もある。
買うべきものもある。
そもそも睡眠時間が足りない。
仕事を休む余裕はない。
時間が足りない。

ちょっと前にNHKでZINEが取り上げられたことをきっかけに、同人誌とZINEの違いは何かということが話題になっていた。
まず、同人誌もZINEも一般的に馴染みの薄い存在だが、どちらかというと日本では同人誌の方が有名だろうと思う。単に有名なでかいイベントとしてコミケがあるからだけど。メロンブックスなどに相当する大型のZINE特化書店もない(ZINEを取り揃える個人書店ならたくさんあるらしいが)。自分もZINEについてはイラストレーターの個展で売っているのを見たことしかない。もちろん、コミケやメロブでもZINEに該当する書籍は売っているとは思う。

同人誌とZINEの違いとして、定義や歴史について色々言われているが、一旦そこは無視していいだろう。もちろんそういったものは重要だが、違う歴史違う定義を持ったものが合流してひとつになることは往々にしてある。それに、由来や名前が違うから別のものだ、と言われても、今川焼きと大判焼きと回転焼きの何が違うのかという問いが力を失うわけではない。
重要なのは現状の実態として何が違うかで、そこを説明してくれる人は残念ながら少なかった。

個人的な実感を端的に言うと、同人誌と呼びたくない、非オタクカルチャーの自主制作書籍をZINEと呼んでいるように思う。
現状、同人誌というワードは「同人」という元々の意味を超えて、自主制作書籍全般を指す用語として使われている(というか同人という言葉が自主制作とほぼ同義になっている)。かたやZINEは今回の件で色々説明されたことを踏まえると、自主制作書籍といえども色々と定義に縛りがあるようで、実態は、個人によるオリジナルであることを前提として、文芸・評論・エッセイ、また非オタクカルチャーのイラスト・デザイン本、資料集などをZINEと呼んでいるように思われる。そうなると現状はZINEは同人誌に内含される概念だということになる。であればどちらを名乗ってもいいはずで、あえてZINEを選ぶのは裏を返せば同人誌と呼びたくないということになる。
同人誌はカバーする範囲が広いため、コミケが異常に有名なことなども含め、エロやオタクカルチャーの悪印象がけっこうついている。これらとの差別化ブランディングとして、オリジナル中心でオシャレ・文学的などのイメージを込めてZINEと呼べば、ジャンルとして住み分けできて社会的に堂々としていられるのはある。販売もしやすいだろう。
あとは、個人のレベルで言えば、どちらの言葉に先に触れて使い出したかというのもある。同人誌という単語を知らない人がZINEという言葉に先に触れて使い出すというのも、その逆もある。自分なんかはその逆の方で、今回の話で、これまで自分がコミティアで同人誌と名乗って出してきたものは一応ZINEにも該当するらしいとわかった(それとも漫画は除外されるのだろうか?)。まあ、自分についてはどちらでもいいのだけど、最初に触れた単語の方が馴染みがいいのは確かなので、ZINEに馴染んだ人は今更同人誌と呼びたくもないだろう。

というわけで、今回の自分の理解は、日本における実態としては、同人誌とZINEは同じとか違うとか以前に階層が違う概念であり、ZINEは同人誌に内含される、という感じになる。今川焼きと大判焼きという比較ではなくて、スマートフォンとiPhoneみたいな感じだ。
その上で、あえてZINEと呼称することは、同人誌に含まれるエロやオタクカルチャーのイメージを排するという点で意味がある。エロ漫画もZINEも同人誌という括りでは同じだが、エロ漫画と一緒にされては困るので、「同人誌とは別のものですよ」とあえて主張しておけば距離を置ける。NHKでも特集を組んでもらえた。

結果としてNHKがあたかも同人誌の存在を無視してZINEを「新発見」したように見え、加えてツイッターで実際にZINEの方が位が高いととれる説明をした人がいたので、オタクの反感を買って「同人誌もZINEも同じ自主制作なんじゃないのか」と話題になったのだと思う。まあ、その気持ちはわかる。
オタクはよく無根拠な被害者意識で物事を責め立て炎上させる攻撃性を持つが、この場合はZINEを知らない無知に端を発し、その疑問に対して、同人誌とZINEに実態として明確な違いがぱっと見当たらないのに、歴史や定義の説明ばかりされて、攻撃性と言うより戸惑っている印象を受けた。まあそれはそうだろうと思う。そうしてもやもやしていたところに明らかにZINEを同人誌の上位に置いて説明する人が出てきたので、怒りを覚えるのも、まあそれはそうだろう。

だいたいいつもはオタクが一方的に悪いことが多いのだけど、この話題では結構ZINE側の人も同人誌側のオタクも同じくらい見ていてキツイことを言っていたので、心の中でどうどうと唱えていた。
そこは結局自主制作というくくりで見れば同じことをやっているものなので、否定・排斥しあうのではなく尊重しあいたいものだ。同人誌のイメージを避けるのは理解できるし、かといってZINEは同人誌と別物というわけでもない。
自分の理解ではそのはず。

250206雑感

104.4kg。

ついにGalaxy S25 Ultra(以下Galaxy)を予約注文してしまった。もう後戻りはできない。
というわけで今のPixel 6 Pro(以下Pixel)とのお別れが確定した。まだ戦えているPixelくんには申し訳ないが、手持ちのPixelには経年のせいか以下の問題があり、Galaxyに変えてそれが改善するのを願っている。

・稀にブラックアウトして物理ボタン以外操作不能になる
・一部ゲーム(学マス、ブルアカ)をプレイしていると稀に落ちる
・稀に屋外で電波をつかまなくなり(キャリアに依らない)、再起動するまで直らない

ゲームで落ちるようになったのはともかく、操作不能になったり電波を掴まなくなったりするようになったのは困る。特に前者。使い始めの頃はそんなことはなかったので、経年によるものだと思う。あるいは入れたアプリやアプデが良くないのか。

あと他に不満といえば以下。
・カメラの写りが青い
・学マスがカクつく
・グラブルがまともにプレイできない(これは改善しないと思う)
・エッジディスプレイなので端までスライドする時に認識しづらい

カメラの写りが青いのが致命的だというのは前にも書いたとおりで、買い替えの大きな動機になっている。
カメラの性能(色味以外)については正直現在のPixelにさほど不満がないため、まずそれ以上であろう今回のGalaxyには特に心配していない。

Pixelはゲーム性能も物足りなさがある。結局学マスはiPadでプレイするようになったが、学マスをスマホでプレイできたらどんなにありがたいかと思う。ただ、ゲーム性能を求めるのはそこくらいだ。グラブルは多分Androidとの相性の問題なので改善はしないだろう。学マスもやってみないとわからないが、さすがに大丈夫だと思いたい。

あと、エッジディスプレイはやはり良くない。見栄えもそんなに良くないし、端っこに変なカーブがあるのは使っていて気持ちよくはない。ホーム画面の遷移など、左右限界までスライドする必要がある操作は結構難しかった(スマホカバーの端がエッジの分段差が大きめにできているのもある)。
その点、S24 Ultraも微妙にエッジがかかっていたので、S25 Ultraになって完全フラットになったのは良かった。

Ultraの予約特典でGalaxy Buds 3もついてくる。オープンイヤー式のワイヤレスイヤホンだ。
自分はカナル式のソニーのイヤホンを愛用しているのだけど、元々はオープンイヤー派だ。屋外でならまだしも、家ではあまりカナル式のイヤーピースを耳穴にぎゅうと詰め込みたくはない。なので、家用としてけっこう生活に無理なく組み込めるのではないかと期待している。

そう考えると意外と渡りに船という気もする。S24からの進化はやや乏しいとはいえ、CPU性能は上がってはいるし、ディスプレイもフラットになった。オープンイヤーのワイヤレスイヤホンもついてくる。
Galaxyは前回までは2回払いしかできなかったが、今回はペイディに対応して12回払いまで可能。
これでSペンの機能が削減されていなければ完璧だったのだけど、まあ、昔Noteを使っていた時もペンとしてしか使っていなかったので、支障はないか。